どんな治療でも歯を抜かずにすむなら、それに越したことはありません。矯正治療でも近年は「できるだけ歯を抜きたくない」という患者側の要望に応じて、“非抜歯矯正”を掲げる歯科医院が増えています。
ただ歯列矯正で歯を抜くのにはそれなりの理由があり、安易に“非抜歯”という点に固執した結果、思わぬトラブルに見舞われるケースも少なくありません。今回は「非抜歯矯正」をテーマに、矯正治療における抜歯の基準や非抜歯矯正の注意点などをご紹介していきます。
目次
1.なぜ矯正治療で“抜歯”をするのか
1-1.歯並びが悪くなる最大の原因は「スペース不足」
矯正治療で抜歯をする目的は、歯をきれいに並べるためのスペース確保です。歯並びの乱れの多くは、歯の大きさに対して顎が小さく、歯が正しい位置に並びきれないことによって生じています。これは5人がけのイスに7,8人の人が無理に座っているのと同じ状態です。この状態で人が正しく座るためには、「イスを大きくする」もしくは「座る人を減らす」の2択しかなく、これを歯列矯正にあてはめると「顎を大きくする」か「歯を減らすか」のいずれかになります。
まず顎を大きくする方法は、子どもの歯列矯正ではよく用いられる手法です。発育段階にある子どもの場合は骨の成長が利用できるため、歯の大きさにあわせて顎のサイズや形を整えることができます。しかし大人の場合は顎の成長がすでに止まっているため、子供と同じような方法で顎の大きさや形を変えることはできません。そのため大人の矯正治療では“座る人を減らす”、つまり歯を抜いてそのスペースを活かす矯正治療が主流となっています。
1-2.「非抜歯」でも治療ができる理由
歯を抜かないとスペースが確保できないなら、どうやって“歯を抜かずに”そのスペースを確保したらよいのでしょうか。一番手っ取り早い方法は、歯の両端を削ってそのスペースを作ってあげることです。このような手法は「ディスキング」「ストリッピング」と呼ばれ、実際の矯正治療でもよく用いられています。しかし削るといっても、そのリスクを考えると1か所につき0.5mmまでが限界で、仮に10か所削っても合計にして5mm程度しかスペースが確保できません。したがってそれ以上に歯を動かす必要がある場合は、歯を抜いてスペースを空ける必要がでてきます。
ただ実はもう1つ、歯を抜かずにスペースを確保できる方法があります。これまで大人の矯正治療では、イスと人でいう“イス”のほうを大きくするのは困難だとされていましたが、近年の治療技術の発達にともないそれが可能となっています。その具体的な治療法については、下記の「非抜歯矯正を可能にする治療法」の項目で詳しくご紹介していきます。
1-3.歯を大きく動かす場合は「抜歯」がベスト
矯正治療では抜歯・非抜歯を左右するのは、「歯を正しく並べるために、どれぐらい歯を動かす必要があるか」という点です。そしてその移動距離が大きいほど、「抜歯」が必要になる可能性が高くなります。
矯正治療では抜歯が必要な場合、第一小臼歯(前から4番目の歯)を抜いてそのスペースを活用していきます。第一小臼歯の横幅は6~7mmほどなので、左右2本を抜くと12~14mmのスペースが生まれることになります。他にもスペースを確保する方法はあるといっても、これほど大きなスペースが作れるのは小臼歯の抜歯のほかにありません。
したがって凹凸の強い歯並びや前歯が大きく突き出している出っ歯・受け口などのケースでは、非抜歯で無理に並べるより、抜歯を選択した方がベストでしょう。
2.非抜歯矯正を可能にする治療法
2-1.インプラント矯正
インプラント矯正では、矯正用のインプラントスクリュー(ネジ)を骨に埋め込み、そこを固定源にして歯を動かしていきます。スクリューを埋め込む位置によって歯に加える力の方向を自由に設定できるほか、一度に複数の歯を動かせるため治療期間も短縮できるのが特長です。
歯を抜かずにスペースを確保するには「奥歯を後方に動かす」というのも1つの方法ですが、従来のやり方ではそれは困難とされていました。なぜなら歯を動かすためには、動く方向に「固定源」を必要とするからです。例えば前歯を後方に動かす場合は、それより後ろの歯(奥歯)を固定源にして後方に引っ張るような力をかけていきます。一方で奥歯の場合は後方に動かしたくても、その後ろに固定源となる歯が存在しません。
しかしインプラント矯正では奥歯のさらに後ろにスクリューを埋め込めば、そこを固定源にして奥歯を後方に動かせるようになります。これにより従来は抜歯が必要なケースでも、歯を抜かずに治療できる可能性が高くなります。
2-2.マウスピース矯正
インプラント矯正と同様に、奥歯の後方移動を得意とするのが「マウスピース矯正」です。透明で着脱ができるマウスピースを使った治療法は、「装着しても目立ちにくい」「違和感が少ない」「食事が楽」といったメリットが注目を集めています。それにくわえて非抜歯による治療の可能性が広がるのも、マウスピース矯正の特長といえるでしょう。
マウスピース矯正が奥歯の後方移動を可能にするのは、歯へ力の加え方に理由があります。奥歯の根っこは表面積が広く、歯の一点だけに力を加えてもその力が根っこ全体に伝わりにくいため、歯を動かすのにもかなりの労力が必要です。一方でマウスピースは歯の表面全体に力を加えられるため、根っこにも効率よく力が伝わり後方へ動かしやすくなります。
2-3.マルチループアーチワイヤー
従来のワイヤー矯正で使用するワイヤーは1本が真っ直ぐになっていますが、マルチループアーチワイヤーはワイヤーに複数のループ(輪)が付いているのが特徴です。従来のワイヤー矯正は歯を左右(頬舌)に動かすのが苦手ですが、マルチループアーチワイヤーはループが歯を前後だけでなく上下、左右と立体的に動かしやすくします。歯に外側(頬側)の力を加えると、その動きにあわせて顎の骨も広がることから、非抜歯でのスペース確保が可能になります。
2-4.拡大装置
拡大装置は顎の骨を内側から広げ、歯が並ぶスペースを作る取り外し式の装置です。成長期の子どもの治療でよく用いられますが、成人矯正でもケースに応じて使用する場合があります。
ただ大人の拡大装置の使用については専門家の中でも賛否がわかれ、誤った使用法によるトラブルも発生しています。大人の場合は拡大装置を使用しても数mmしか顎が広がらないほか、無理に広げると噛み合わせにズレが生じるおそれもあります。したがって使用に際しては、知識や技術を有した矯正専門医による慎重な診断が必要です。
3.「抜歯しない治療」の落とし穴
3-1.非抜歯治療は“諸刃の剣”
「生涯に1本ずつしかない歯を大切にしたい」というのは治療を受ける側だけでなく、歯科医にも共通した願いです。それでもあえて矯正治療で抜歯を行うのは、歯を抜くデメリットよりも歯を抜かずに治療するデメリットのほうがはるかに大きいと判断されるからです。先の「イス」と「人」の例でいえば、イスにはかろうじて各人のお尻が治まっていても、体や手足の向きがバラバラな不自然な状態を”問題ナシ“と考える人はいないのと同じです。
もしこのような状態が口の中で再現されると、歯はキレイに並んでいても「噛めない」「顔貌がおかしい」といったことが起こります。無理な非抜歯矯正でとくに多いのは“噛み合あわせ”のトラブルで、噛み合わせを無視してスペースを広げた結果、上下の顎の位置がずれて噛めなくなることがあります。また安易に顎を広げたり、狭いスペースに無理に歯を押し込んだりした結果、歯並び全体が外側に膨らんでしまい、いわゆる“ゴリラ顔”になるケースも少なくありません。
このように非抜歯矯正では”歯を抜かずに済む“という一面だけにとらわれすぎると、”正しい歯並びや噛み合わせを作る“という本来の目的を見失ってしまいます。歯を抜かない治療は時にデメリットも大きいことをよく理解したうえで、治療法は慎重に選びましょう。
3-2.すぐに”非抜歯“を提案されたら要注意
矯正治療で抜歯をするかしないかについては、お口の状態やレントゲンを見ただけでは判断できず、より専門的な診査が必要です。具体的には患者さんの歯型から作った模型や「セファログラム」という特殊なレントゲンで、上下の噛み合わせや顎の位置、歯の角度などを細かく分析します。
もしこのような診査を経ないまま「歯を抜かずに治療できる」といわれたら、すぐには契約せずに必要に応じてセカンドオピニオンを受けることをおすすめします。まずは「抜歯・非抜歯の判断には時間がかかる」ということを、しっかり頭にいれておきましょう。
矯正治療は専門に学んだ経験のない歯科医でも法律上は行えるため、知識や経験の未熟な歯科医による治療トラブルも後をたちません。とくに非抜歯矯正に関しては以下の項目を参考に、歯科医院を慎重に選んでいきましょう。
・矯正歯科専門医または認定医が常に院内にいる(常勤)
・セファログラム(頭部X線規格写真)検査をしている
・精密検査を実施し、その結果を基に綿密な治療計画を立案している
・治療の内容や費用の詳細を丁寧に説明してくれる
4.まとめ
矯正治療の進歩にともない、これまでは抜歯なしでは治療ができなかた歯並びも、歯を抜かずに治療できる可能性が高くなっています。一方で非抜歯矯正には十分な診査・診断が必要であり、安易に非抜歯で治療を行えば、後に大きなトラブルを招く危険があることもよく理解しておきましょう。歯を抜かない矯正治療に関しては、治療経験の豊富な矯正歯科専門医院の受診をおすすめします。